AIは「来る」より「馴染む」
「AGIはいつ来るのか」。この問いには、いつも少し焦りが混じる。 来るのなら、乗り遅れたくない。その焦りは、AIの話にいつも貼りついている。
けれど、会社の仕事にAIを入れる日々で感じるのは、もっと地味な手触りだ。 劇的な到来ではなく、ゆっくりと馴染んでいく時間。 その時間のことを、落ち着いて書いておきたい。
「もうすぐ来る」という語り
強い言葉は、能力の話に集まりやすい。
OpenAIのサム・アルトマンは、2025年のブログ「The Gentle Singularity」で「我々はもう事象の地平線を越えた。離陸は始まっている」と書いた。Google DeepMindのデミス・ハサビスは、人間並みのAGIが「5〜10年で来る」と繰り返し述べている(CNBC, 2025)。
どれも、AIの能力がどこまで伸びるか、という見立てだ。 到来をめぐる話は、速くて、強い。
能力と、普及は、別の話
ここに、静かな反論がある。
プリンストン大のアルビンド・ナラヤナンとサヤシュ・カプールは、2025年の論考「AI as Normal Technology」で、AIを「特異点」ではなく、電気やインターネットと同じ「普通の技術」として見ようと提案した。
要点は、能力(どこまでできるか)と、普及(社会がどれだけ使うか)を分けて考えること。
To view AI as normal is not to understate its impact—even transformative, general-purpose
technologies such as electricity and the internet are “normal” in our conception.
彼らは、技術が社会に届くまでを4つの段階に分ける ―発明(invention)→ 製品化(innovation)→ 採用(adoption)→ 普及(diffusion)。 最初の段階がどれだけ速くても、最後の「普及」は数十年の時間軸で動く、という。
能力の伸びは、すでに速い。 けれど、それが社会の隅々まで馴染むかどうかは、別の時計で進む。
歴史は、急がなかった
この「ゆっくり」は、過去の技術が何度も見せてきた。
経済史家のポール・デイビッドは、1990年の研究で電力を例に挙げた(The Dynamo and the Computer)。電気が実用化されてから、工場の生産性に効くまで、およそ30〜40年かかったとされる。最初の工場は、蒸気のベルトを電動モーターに置き換えただけだった。工場のレイアウトそのものを作り替えて、ようやく電気は効きはじめた。
エリック・ブリニョルフソンらは、これを「生産性のJ字カーブ」と名づけた(The Productivity J-Curve)。新しい汎用技術は、入れた直後はむしろ生産性を下げる。組織やスキルを作り替える見えない投資が積もって、あとから上がる。
遅いのは、能力ではない。 それを受け入れる側の、作り替えに時間がかかる。
現場の実感
これは、個人の感想だけではない。 ソフトウェア企業のカスタマーサポートで行われた大規模な実験(Generative AI at Work)では、AI導入で生産性は平均14%上がった。ただし恩恵は新人に偏り、熟練者にはほとんど効かなかった。
普及の実数も、まだ控えめだ。直近の集計では、米国で業務にAIを使う企業はおよそ2割(業務全般での利用)にとどまる(米国勢調査局BTOSに基づくFRBの集計)。能力は出そろいつつある。普及は、これからだ。
それでも、断定はしない
この見方が正しい、と言い切るつもりはない。
ノーマル・テクノロジー論には、まっとうな反論がある。ブロガーのスコット・アレグザンダーは「AIはむしろ”異常な”技術だ」と返した(AI as Profoundly Abnormal Technology)。普及は制度の外でも起きるし、能力の伸びには電気のような速度制限がない、と。
どちらの時計が正しいのかは、まだ分からない。 分からない、と書いておけることが、たぶん今は大事だ。
結論ではなく、次の問い
「いつ来るか」を待っているあいだは、手が止まる。 「もう何が馴染み始めたか」を見ると、手が動く。
あなたの仕事で、すでに静かに馴染んでしまったAIは、どれだろう。 そして、まだ馴染んでいないのは、なぜだろう。